2014/01/27

(続) オオワシが飛ぶ街

諏訪湖のグルに会える確かな方法は、まず湖畔をドライブしてバズーカレンズを構える一団を見つけること。その人達がグルの居場所を教えてくれる。自分のようなにわか追っかけ隊が自力で探し当てることはほぼ不可能に近い。

今日のグル・ウォッチングも「あそこの山の稜線、白鳥の嘴の先に見える鉄塔」と教えてもらってスタート。

肉眼では鉄塔の存在さえ気がつかない。


倍率8倍の双眼鏡をのぞいて、そこに鉄塔があることがやっと分かる。


倍率20倍のフィールドスコープで見えてきた鉄塔の黒い点。それがグルだろうと気づくのは、もちろん事前に教わっているから。


そしてコンデジの光学50倍の出番。嘴の黄色、尾羽や雨覆羽の白色などが確認できる。

新しいデジカメは清里湖のオシドリでは不発だったが、諏訪湖のグルではなんとかその役割を果たしてくれた。

オオワシが舞う街


冬場恒例の一泊二日の諏訪湖訪問。
グルの15年目の帰還は昨年末に知人からのメールで知っていた。今回はできればグルと御神渡りを一緒に見れないものか、とそのタイミングを図っていたが、一時期気配を見せた御神渡りはここ数日の暖気で今年は望み薄になり、グルだけに的を絞っての小旅行になった。

街の背後にある小山に立つ鉄塔から諏訪湖の様子を監視するグル。この鉄塔は、山中のねぐらと諏訪湖の往復で好んで使用する中継ポイントであることは以前から聞いていたが、ここに止まるグルの姿を見たのは今回が初めてだ。
他の鳥が獲物を捕まえたのを見つけると、フワリと氷上へ舞い下りてその餌を奪って我が物にする行動はまさに王者の風格。
(もちろん、グル自身が水上で獲物を捕まえることもあるようで、そんな光景を激写した写真が地元の支部ブログに掲載されている。)
その後、氷上で半日ほど過ごし、夕方になると諏訪湖北の山中のねぐらへと帰って行く。

庭に出ると、あるいはマンションの窓を開けると、ユッタリとオオワシが飛んでいく姿が見える。諏訪湖畔に住む人々はなんとも贅沢な住環境だ。

2月下旬〜3月上旬になると、諏訪湖で越冬を終えたグルはシベリヤへ向けて飛び立っていく。これまでシベリヤ〜諏訪湖間を15回往復したグルだが、来年もまた無事諏訪湖に帰って来れるという保証はない。そんな一抹の不安を抱いていることは、湖畔に集っている皆さんの会話からもなんとなく察しられる。

2014/01/26

寒緩む


厳しい寒さが続いたのでアイスリースを作った。すると、それを待ってたかのように寒さが緩み、ここ数日、日中は0度を超す日々が続いている。

止むを得ず昼間は地面の積雪の上に置いて冷やしているが、その地上の雪も日に日に薄くなり、アイスリースはすっかり痩せ衰えて哀れな姿になってしまった。

2014/01/25

衝突事故

窓ガラスへの衝突事故といえばこれまではほとんどがシメだったが、今年はめずらしくカワラヒワが。

ベランダのテーブルの上でグッタリしている。薄目を開けている様子から察すると脳震盪を起こしているようだ。そのまま放っておいたらほどなく回復して飛び去って行った。

2014/01/23

見覚えのある獣影

数日前は"鳥影"だったが、今日車を運転中に視界に入ってきたのは"獣影"、鉢巻道路を走っている時だった。道路のり面に黒い影を見た時はすぐにカモシカだろうと思った。以前にもこの崖でニホンカモシカを見かけたことがあるから。
カメラでズームアップしてみるとやはり間違いない。50倍ズームで思いっきり引きつけて見たニホンカモシカの横顔は、正面から見た藁草履のような顔に比べてよほど端正で思慮深げだ。そしてよく手入れされた髭も横顔の方が映える。
同じ縄張りの中なので一昨年見かけたものと同一個体の可能性が高い。毛色はずいぶんと違うがこれは撮影季節が異なるせいだろう。

2014/01/19

オシドリの姿はなし

年末からしばらく留守にしていた山荘に帰ってくるとすぐに清里湖(大門ダム)へ出向いた。目的はオシドリの撮影。

ところが、湖面は既に厚い氷で覆われ、オシドリの姿などどこにもない。秋にいまひとつ鮮明に撮影できなかったオシドリを、と高倍率コンデジを新しく手に入れ張り切って来たのだが、オシドリは待っていてはくれなかった。

オシドリ達は氷結した清里湖を後にしてどこに居を移したのだろうか?その場所を見つけようと、ここ数年、長野県、山梨県、静岡県などの山上湖を歩き回っている人を知っているが、まだ発見できていないようだ。

オシドリには会えなかったが、思いがけず昼間のフクロウを新しいカメラで撮影できたので満足。

見覚えのある鳥影


車を運転している時に視界をよぎった鳥影、枝に止まる姿勢に見覚えがあった。(13:18)
車を静かにバックし、ウィンドウを下げて双眼鏡で確認するとやはりフクロウ。時折下を見ている様子なので草地の中のネズミを探しているのだろう。

であれば決定的瞬間を、と車の中からレンズを向けてシャッターチャンスを狙った。最初こそ首をクルックルッ回しながら草むらの獲物を探している風でもあったが、いつの間にか船をこいて寝込んでしまった。30分ほど待ってみたが起きる気配もないのでそっとその場を離れた。

2014/01/16

2014 せたがやボロ市


正月の恒例行事、世田谷ボロ市と墓参。
  • 古本屋焼印屋で目新しいものが出ていないか?
  • 蜜蜂巣箱の煮沸消毒に使う大釜の出物はないか?
  • 軽井沢の蜂友が欲しがっている古い甲州鍬が見つからないか?
  • 丸太巣箱を掘るのに使えそうな大突鑿(つきのみ)を探そう。
. . . そんな思わくで出向いたボロ市だったが目指していたものは一つも見つからず、結局購入したのは帆前掛け一枚だけ(1500円)。ポケット付きの前掛けはあまり見かけないので衝動買いした。

「キッコーマン醤油」などの有名ブランド前掛けで、いかにも販売用に製造されたレプリカ物はよく売られている。でも、これは従業員が使い古した正真正銘のオリジナル物(と思う)。

自宅に帰ってネットで調べるとこの会社は明治30年創業の老舗の駄菓子・玩具・花火問屋。今も横浜で商売をしている。
どんな因縁でこの前垂れが世田谷ボロ市に流れてきたのか?そんなことを考えるのもまた楽しい。

せたがやボロ市は、獅子舞、太鼓、神輿、神棚、もちつき臼など、農事・祭事用品の陳列が多く”昔の農村の雰囲気”が気に入っている。

TVニュースでは、今朝の東京も今季一番の冷え込みを記録。1月の世田谷ボロ市は“凍えるような寒さ”というイメージが強いが、風が無かったせいか今日は例年ほど寒さを感じなかった。

2014/01/15

七草囃子(ななくさ ばやし)

七草囃子の歌詞の意味を知りたい。気軽な気持ちで調べ始めたが、予想した以上に諸説紛々で、そう簡単に疑問解消とはいきそうにない。で、以下は作業途中の備忘録;

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七草粥が日本で最初に記録に現れるのは平安初期、神宮の祭事を記録した書物「皇大神宮儀式帳」(804年)だそうだ。それが民間行事として広まり、ほぼ現在のような形になったのは室町時代のことらしい。(日本食生活史)

大正末期~昭和初期の各地の食生活を聞き書きした「日本の食生活全集 」には、各地域の七草囃子が集められている。歌詞は地方により様々だが、 “トードノトリ”というフレーズだけは共通している。

「トードノトリ=唐土の鳥」は中国伝承に登場する鬼車鳥(きしゃちょう)。九つの首を持つ怪鳥で、首の一つは犬に喰いちぎられていつも血を滴り落としている。その血が降りかかると凶事にみまわれる。鬼車鳥は、夜中に庭に下りて捨てられた人間の爪をついばむ。時には家の中に入り込んで人間の魂を奪う。(荊楚歳時記)

大声で七草唄を囃し、まな板を叩いて大きな音をたてるのは鬼車鳥(=邪気、災厄)を追い払うため。

唐土の鳥を、“農作物に害を及ぼす大陸からの渡り鳥”と解釈し、七草囃子と鳥追い唄を結びつける解説もあるが、神事としての七草粥と、農事の鳥追い行事は別物と考えた方が良さそうだ。

七草囃子の誕生時期は定かではないが、江戸初期に貝原益軒により書かれた「日本歳時記」には、七草囃子のことが書かれているそうだ。(日本歳時記はまだ入手できていない。)

宮中歳時記 によれば、宮中では1月7日に「七草粥」と「初爪切」の儀が執り行われるらしい。"爪→鬼車鳥→唐土の鳥→七草囃子"とつながっているようで興味深い。

意外と多くの幼稚園や児童館、あるいは神社などで、七草囃子を唄いながら七草粥を作る催しが行われている。その多くは、伝統風俗を次世代につなげるため、との思いでのようだ。(左写真はは南信州ナビから拝借したもの。)

注記:
(1) トップ写真は、いしかわ19ネットから。
(2) 鬼車鳥は巨大なミミズクとの説もある。ミミズク(=フクロウ)は、国や時代により知恵の神と崇められたり、凶鳥として忌み嫌われたりする。詳しく調べてみたいテーマだが、今回は手をつけないことにした。 

2014/01/14

都会の野鳥

以前は都会で見ることはめったになかったのに、最近は頻繁に見られるようになった野鳥は結構多い。代表格は、カワセミ、エナガ、セキレイなど。猛禽類のチョウゲンボウやノスリ、そして一時は絶滅の恐れを指摘されていたオオタカなどもその部類かもしれない。

「石神井公園のカワセミ」がニュースネタだったのは何年前ごろだったろう?(野川御塔坂橋付近)
次々と走り抜ける自転車を怖がるふうもなく、土手の縁石で草むらから飛び出す昆虫を待ち構えるチョウゲンボウ。(多摩川京王相模原線鉄道橋近く)
ウィンドサーファーがかなり近づいても逃げようともしないカワウ。これは"身近かになった"と言うより"異常に増えた"野鳥。鮎を食べるとすっかり悪者扱い。(多摩川 二ヶ領上河原堰)

2014/01/13

野鳥撮影講座


新しいカメラの操作に慣れようと、. . .
  • まずは上空を飛ぶ飛行機でターゲットを即座にズーム視野に入れる練習をし、
  • 次は波状飛翔するヒヨドリで素速いピント合わせの訓練をし、
  • そして、カワセミで露光量と色相の試し撮りを何度もした。
. . . 総仕上げに、今日は「野鳥写真家に学ぶ多摩川の冬鳥撮影のコツ」に出席。(主催:調布市多摩川自然情報館)

講師は調布在住の叶内拓也氏。山渓ハンディ図鑑「日本の野鳥」などの著作も多い野鳥写真家。一年の大半は全国のフィールドを走り回っているという叶内氏の講義は実践的で有意義。写真撮影のテクニックだけでなく、野鳥観察のノウハウもタップリ学べた楽しい青空教室だった。

それにしても、叶内氏の“トリ目”にはただただ驚かされた。こちらにはまったく認識できない野鳥の姿が氏の目には次々と入る。はるか上空の黒い点を見て、“オオタカの幼鳥!”、“雌のチョウゲンボウ!”と即座に見分けるさまはまさに神業。爪の垢を煎じて飲みたいと思った。

上写真は、集団採餌するカワウが追いつめた小魚を横取りしようとするダイサギ。ここ数年、多摩川にはカワウが急激に増えた。そして、ストーカーのように、カワウの後をついて回るダイサギも。(撮影倍率 x50)

2014/01/09

七草粥


水遣りの不手際なのか、昨年年末、都立農高の公開講座の最終日に作った七草寄せ植えが今ひとつ生育が良くない。七草粥の日までに食べられるほどに生育しないのでは、と思案していたが、1月7日は旅先のホテルで七草粥をいただくことができた。

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今では田舎に住む人も"七草パック"をスーパーで買うのが当たりまえになったが、昔は野に出かけて七草を探す“若菜摘み”と、翌朝に食べる“七草粥”は一連の大切な正月行事だった。

摘んできた七草は6日の晩に俎板の上で杓子や包丁の背で叩いて下準備する。その時、「七草なずな、唐土の鳥と日本の鳥と、渡らぬうちにすととんとんとんとん」と囃しながら、わざと包丁の大きな音を響かせながら叩く。

その七草囃子唄は、山梨では「唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬ前(さき)に、あわせてこわせてバッタバッタ」で、それが宮城県亘理町にいくと「たたく、たたく、七草たたく、唐土の鳥と田舎の鳥が騒がぬ前に、七草たたく」になるなど、それぞれの地域バージョンがあるそうだ。(「春の七草ーものと人間の文化史」)

いまでは「食べる風習」だけが残った七草粥だが、そもそもはもっと深い意味合いがあった伝統行事だったのだろう。歌詞が意味するところにも興味をそそられる。

七草や膝を正して母の前 (前田陶代子)

2014/01/08

伊豆半島ドライブ旅行 ③ . . . 津波

今回の伊豆半島の旅で目についたのが3.11からの教訓。海岸線に近い地区には、海抜を示す案内板があちこちに貼られ、避難場所への誘導板もきめ細かに立てられていた。


そして海水浴場近くには建設中の巨大避難タワー。高さ12m(=海抜16m)は南海トラフ巨大地震の予想最大津波高を2〜3メートル上回る高さがあり、激流に流されないよう基礎杭は地下48メートルまでが打ち込まれているのだという。

400平方メートルのステージ上に1000名の避難者を収容できるそうだ。総工費は1億900万円とのことなので、計算上では10万円少々で人一人の生命が救えることになる。全国各地では同様な避難タワーが次々と建設されているが、伊豆半島ではまだこの弓ヶ浜海水浴場が最初の工事らしい。

伊豆半島ドライブ旅行 ② . . . 踊り子


伊豆と言えば踊子。最近はやや下火になった感もあるが、かって「伊豆の踊子」は忠臣蔵に並ぶほどの国民的ストーリーだった。繰返し映画やTVドラマ化され、映画で踊り子役を演じた女優を一覧するだけでもその人気のほどが伺える。(田中絹代-1933年公開 、美空ひばり-1954  " 、鰐淵晴子-1960 " 、吉永小百合-1963 " 、内藤洋子-1967 " 、山口百恵-1974 " ) 

というわけで、伊豆半島を旅すると踊り子が溢れている。あちこちに立つ銅像は序の口で、踊り子歩道、踊り子の宿、踊り子足湯、ゆるキャラ"かおるちゃん"(=踊り子の名前が薫) と続き、. . .
極めつきは踊り子(と一高の学生さん)を摸したトイレの看板。ここまでくると少々やり過ぎではと思わなくもないのだが???

伊豆半島ドライブ旅行 ① . . . グルメ

久しぶりに正月を南伊豆で過ごした。主目的は伊勢海老、金目鯛、生ワサビの伊豆グルメを味わうこと。かっては高足ガニもそうだったが、今では漁獲量が減り高嶺の花になってしまった。

ということで、今回のメイン食材は伊勢エビ。予約しておいた伊勢海老会席の夕食は、お造り、焼き、鍋、そして最後に海老汁雑炊と伊勢海老づくし。食後のテーブルには、骨の髄までしゃぶられた殻の山が。
そして昼食は、金目船(金目鯛漁に使う漁船)の網元が開いている食堂で金目鯛の煮付けを食べた。刺身や焼き魚も悪くはないが、金目鯛はやはり煮つけが一番美味しい(と自分は思う)。

お土産は鮫皮おろし板と生ワサビ。
鮫皮おろし板は、宮大工が柱を磨くのに鮫皮を使用していることからヒントを得て考案されたのだそうだ。鮫皮おろしを手造りしている天城街道沿いの浅田わさび店に立ち寄ってみたが、3.11以降東北地方からのコロザメ皮の供給が途絶えたため今は生産を中止しているとのこと。コロザメの皮は鮫皮の中でも最高級品とされている。止むを得ず道の駅天城越えの売店で、中国産鮫皮で日本で作った製品を購入した。